
零戦(ゼロ戦)
アルマイト処理技術の系譜~創業秘話
アルマイト草創期~ゼロ戦で培われていった技術
当社の創業は昭和31年にさかのぼります。創業者故清田儀一は、太平洋戦争末期に近衛兵を退役、中島飛行機(群馬県太田市、現富士重工業株式会社・群馬製作所)に勤務していました。
飛行機の機体はジュラルミン等アルミ合金製であり、耐食性の向上のための陽極酸化処理技術(アルマイト処理)は不可欠であり、儀一はここでアルマイト処理技術者としての第一歩を記したのでした。
当時、儀一が製造に係わったゼロ戦のアルミ部品は、南太平洋の残骸となった今でも輝きを保っています。
戦後復興~多方面への応用

昭和22年儀一の手がけた菊の絵柄のシャーレ
終戦後、中島飛行機からアルマイト(当時商標登録)処理の創始会社である理研アルマイトの桐生工場(群馬県桐生市)へと移籍、機体接続に用いるリベット等航空機部品全般にわたって行っていた同社のアルマイト処理技術を本格的に習得、戦後社会の復興に貢献すべく多方面での応用を一心不乱に研究しました。

アルマイト工業退職金支給書
当時映画化された壷井栄原作の「二十四の瞳」の中で、小豆島の子供たちの憧れであった「ゆりの花の絵のついたアルマイトのお弁当箱」こそが、理研アルマイトで儀一の手がけた製品であったのです。
アルミ加工業で栄える足利で創業
その後、儀一はそのアルマイト処理に関する知識と技術を評価され、足利市で起業したアルマイト処理会社の工場長へと招聘されました。そこでも持ち前のバイタリティを如何なく発揮し、当時主流であった鍋、やかん、弁当箱などの実用品から処理皮膜管理技術を応用した弱電部門への導入を推進してゆきました。
そして、活気あふれる足利市に昭和31年、37歳で株式会社清田アルマイトを創業したのです。
創業以来50年を経て

50周年記念刺繍
株式会社清田アルマイトは、鍋ややかんなどのアルミ製家庭器物の加工業として創業、以後50年以上に渡りアルミニウム製部品や製品のアルマイト処理一筋に歩んできました。
以来、培ったノウハウを活かし、半導体・事務機・パソコン・自動車部品などにも受注の幅を広げています。
そして平成16年には「高耐アルカリ性陽極酸化皮膜処理」技術により「栃木県フロンティア企業」の認証を受けるなど前進を続けています。
確かな技術を継承していきます

記念刺繍を施したポロシャツ
株式会社清田アルマイトでは、今後もアルマイト技術のさらなる前進を目指し研究開発を続け、そして、その技術を後の世代に継承していくことを目指しています。
加えて、インドネシアを始めアジア各国から若い研修生や実習生を受け入れ、幅広く世界への技術の伝承も行います。
戦前・戦中から儀一が学んだアルマイト処理技術は、ゼロ戦ではなく、アジアの若者を通じてアジアに、世界に、次世代に広がっています。





